良秀という芸術家
国語の教科書で習った方も多いかと思います。
宇治拾遺物語にある「絵仏師良秀」という話。
絵仏師良秀の内容
絵仏師の良秀という男がいた。
ある日、大火事で自分の家が焼けた時、良秀はなんとか外に避難したが妻子は家の中に残されたままだった。
そんな良秀に同情して周囲の人たちは声をかけるが、彼はこんなことを呟いていた。
「今まで不動明王の姿を何度も描いてきたが、背景の炎を上手く描けなかった。
なるほど、炎とはこのように燃えるのか。
これから炎を上手に描けるから儲けものだ」
その後、良秀の描く不動明王は「良秀のよじり不動」として賞賛された。
「絵仏師良秀」は大体こんな話。
国語の教科書に載っていた話はどれも印象深いですが、この作品はタイトルも含めて僕の心に強く残っています。
妻子の安否よりも絵の上達を喜ぶ芸術家の性(さが)
妻子の命を天秤にかけるのは流石にぶっ飛びすぎですが、何に取り組むにせよ最も重要な才能は夢中になれるかどうかだと思います。
夢中になっているかのように演じるのは論外ですが、意識的に自分が取り組むことを優先しようとする姿勢は非常に大切。
もう少し具体的に言えばこんなケースですね。
・友達の誘いよりも絵の練習を優先する
・寝転がってゲームをしたいが絵の練習を優先する
・飲み会を断って絵の練習をする
友人の誘いは嬉しいこと。
寝転がってゲームは楽しいこと。
飲み会は付き合いという強制力。
こういった誘惑を毎回全て断る必要はないと思いますが、
勇気を出して断ることも大切です。
あらゆることにおいて絵を最優先。
究極の選択とも言える妻子でさえも視界に入っていない。
芸術家の性(さが)とも呼べるこの性分は最強の才能と言えます。
何か一つ身につけるには犠牲が必要
極端な考え方かもしれませんが、一芸に秀でようと思ったらそれなりの犠牲が必要になると思います。
なぜなら現代人には時間がないから。
日中は仕事をして、家族がいる人には団欒があり、オフには友人や家族と出かけたりする。
腰を据えて何かに取り組んでいる余裕はないのです。
それでも何か一つでも物にしたいと考えているならば、無駄な飲み会やスマホをいじっている時間、ゲームをしている時間、ダラダラ寝転がっている時間などを減らして、
自分のためだけに使える時間を捻出しなければいけません。
絵を描きたいと思っていた僕のメンタルブロックは時間の問題でした。
「でもブログ書かないとだし、色々やることあるし、今は落ち着いた時間が取れそうにないなー」ということ。
そこで後回しにしたり、いつ来るかも分からない余裕を待っているようでは見込み無し。
やる人はどんな状況でもやるし、実際に僕は漫画やゲームなら無理やり時間を作って楽しむことができています。
そんな時に思い出したのが、「絵仏師良秀」の物語でした。
良秀に習うべきは、自分が大切にしているものを選択する勇気を持つこと。
良秀のような極限状態に陥ることはそうそうないと思いますが、普段の生活の中でやること、やらないこと、やりたいこと、やりたくないことを意識的に選択していこうと思いました。